いすゞ・ベレット1600GTR~国産GTのパイオニア的存在だった「べレG」の最速モデル

いすゞ ベレット 01「ベレG」の愛称で親しまれたいすゞのベレット1600GTに、最速モデルが登場したのは、1969年です。

天才デザイナーであるジウジアーロが設計した「いすゞ・117クーペ」のDOHCエンジンをそのままベレットに移植したモデルで、ベレット1600GTRと名付けられました。

レースで大活躍したベレット1600GTXの市販バージョンが、ベレット1600GTRということになります。

GTRの「R」というのはまさにレーシングを意味しています。

GTRというとスカイラインGT-Rを思い浮かべる人が多いと思いますが、ハコスカGT-Rが登場したのも、このベレット1600GTRと同じ1969年でした。

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黒塗りのボンネットと大型フォグランプが目立ったベレット1600GTR

いすゞ ベレット 02スカイラインGT-Rの外観上の特徴は迫力のあるオーバーフェンダーでしたが、ベレット1600GTRも他のグレードとの違いが一目で分かる外観的特徴がありました。

ボディカラーとは関係なしに、ボンネットだけが黒く塗られ、そのボンネットにはエアースクープが取り付けられていました。

また、大型のフォグランプや太いサイドストライプも非常に目立ちました。

この黒いボンネットと大型のフォグランプを装着した外観からは、「レーシング」というよりもむしろ「ラリー」を連想させます。

むかしのラリー車は、太陽光がボンネットに反射してドライバーの視界に影響するのを避けるために、ボンネットを艶消しの黒で塗装していました。

ブルーバード510やフェアレディZ240のラリー仕様も、ボンネットは艶消しのブラック塗装になっていました。

ベレット1600GTRには、ボンネットの黒塗装とサイドストライプのないタイプも存在しました。

ベレット1600GTRの性能には憧れつつも、あまりにも目立ちすぎる外観に抵抗を感じるという人もいたことでしょう。

ベレット1600GTRは、外観だけではなく内装もスポーティーな仕様になっていました。

内装色はブラックで統一されて、6連メーターや革巻きの3本スポークのハンドルが、走り屋をイメージさせます。

スピードメーターも、現在の国産車は180km/hまでしか刻まれていませんが、当時はリミッターによるスピード規制がなかったために、ベレット1600GTRのメーターは220km/hまで刻まれていました。

また、シートはヘッドレストと一体型のハイバックタイプのバケットシートで、レザー張りの贅沢な仕様になっていました。

1600ccながら最高速度190km/hをマークした高性能なベレット1600GTR

ベレット1600GTRは、「いすゞ117クーペ」に採用されていたエンジンがそのまま移植されています。

直列4気筒のDOHCエンジンで、ソレックス製のキャブレターを2基装着していました。

最高出力は120psで、970kgというボディの軽さもあって、最高速度は当時の1600ccクラスとしてはトップレベルの190km/hをマークしました。

スタートから400mまでのタイムであるゼロヨンも、16秒6という俊足ぶりでした。

1970年11月に三菱から「ギャランGTO」が登場するまでは、ベレット1600GTRは1600ccクラス最速のクルマといえました。

ちなみに、ギャランGTOのMRは、最高速度200km/h、ゼロヨン16秒3となっています。

参考記事:三菱ギャランGTO~ヒップアップクーペと呼ばれた時速200kmの俊足モデル

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現在のクルマとくらべて非常にコンパクトだったベレット1600GTR

いすゞ ベレット 03ベレット1600GTRは、現在のクルマとくらべるとサイズ的には非常にコンパクトでした。

全長4005mm、全幅1495mm、全高1325mmとなっており、特に全幅に関しては、現在の5ナンバーサイズのクルマとくらべて200mmほど狭くなっています。

ちなみに、現在の軽自動車の車幅が1.48m以下となっていますので、ベレット1600GTRの車幅は、いまの軽自動車とほぼ同じということがいえます。

参照:ベレット1600GTR諸元表

ただし、これはベレット1600GTRの全幅が特に狭かったということではなく、当時のクルマの多くはこのサイズでした。

古いお店の駐車場に行くと狭く感じることが多いと思いますが、これは当時のクルマのサイズに合わせて設計しているためです。

そんな駐車場に、幅の広くなってしまった現在のクルマを駐車すると狭く感じるのは当然のことといえます。

コンパクトなサイズのベレット1600GTRは、当然ながら室内も非常に狭いものでした。

一応4人乗りとなっていましたが、後部座席はエマージェンシー用というべき程度のもので、長距離のドライブには向きませんでした。

室内に関していえば、いまの軽自動車の方がはるかに広いといえます。

また、ベレット1600GTRは、車重も970kgと1トンを切っており、1600ccのクルマとしては非常に軽量でした。

現在人気の軽自動車であるホンダN-BOXの車重が、ちょうどこれくらいです。

いまの軽自動車と変わらない重さのボディに、1600ccのDOHCエンジンがのっていたわけですから、ベレット1600GTRが速いのは当然といえます。

ベレット1600GTRは庶民には手の出ない超高価なクルマでした

いすゞ ベレット 041970年前後のころは、所得に対するクルマの価格がいまとくらべてかなり高い傾向にありました。

当時は、クルマというのはまさに贅沢品だったわけです。

そんな中でも、ベレット1600GTRはひときわ高いクルマでした。

ベレット1600GTRの値段は111万円となっていましたが、これは当時としては驚くような金額でした。

1969年当時の大卒の初任給は3万4千円でしたから、ベレット1600GTRの価格を現在の物価に換算すると600万円ほどになります。

参考:大卒初任給年次統計

ちなみに、「R」のつかないベレット1600GTの販売価格は、93万円でした。

現在の物価になおすと軽く500万円オーバーとなりますので、GTRに限らずベレットというクルマが非常に高価であったということがお分かりになるかと思います。

いまのクルマでいうと、クラウンやヴェルファイアの上級グレードを購入するイメージになるかと思います。

ベレット1600GTRは、そんな高価なクルマゆえに販売台数は非常に少ないものでした。

4年後の1973年に発売が中止されるまでに生産されたのは、わずか1500台ほどでした。

そういった意味では、まさに幻の名車といってもいいかも知れません。

排ガス規制をクリアできずに短命に終わったベレット1600GTR

いすゞ ベレット ベレット1600GTRが活躍した1970年代初頭は、排ガス規制がどんどん厳しくなっている時代でした。

特に1973年に施行された「昭和48年排ガス規制」は非常に厳しいもので、多くのクルマがこの規制をクリアできずに、生産中止に追い込まれました。

参考:昭和48年排ガス規制の詳細

その中の1台がベレット1600GTRで、ツインキャブレター仕様の高圧縮比のエンジンで規制値をクリアするというのは困難だったようです。

スカイラインGT-RもS48年排ガス規制で生産終了を余儀なくされたクルマの1台で、2代目となるケンメリGT-Rは、1973年1月に発売開始されたあと、わずか3ヵ月後の4月には生産が中止されました。

そのため、ケンメリGT-Rの生産台数はわずか197台にとどまっています。

1960年代後半からレースで大活躍したいすゞのベレット

レーシングカー青いすゞは、1960年代後半から、ベレット1600GTで海外のレースに積極的に参加をしており、1967年の全米選手権では第1戦と第2戦に連続して優勝をしています。

1600GTRのモデルとなったDOHCエンジン搭載の1600GTXは、1969年8月に行われた鈴鹿12時間耐久レースにおいて、初参戦にもかかわらずみごと総合優勝を成し遂げています。

その後いすゞは、本格的なレーシングマシンである「ベレットR6」を制作し、DOHCエンジンに磨きをかけていきました。

ベレットR6は、1970年の第4回全日本鈴鹿500キロレースにおいて、総合2位の成績をおさめています。

文・山沢 達也